南部菱刺しは、青森県の伝統工芸に指定される刺し子技法です。青森県津軽こぎん刺し、山形県庄内刺し子に並ぶ、日本三大刺し子のひとつです。地刺し模様「柳の葉」を刺し連ね、禅語「柳緑花紅 真面目」を表現した作品のご紹介をしたいと思います。柳の写真と共に、そして春と夏のあわいの季節に作品を並べ、撮影を行った様子を綴ります。
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柳緑花紅 真面目
「柳緑花紅 真面目(やなぎはみどりはなはくれない しんめんもく)」とは、宋代を代表する詩人である蘇東坡(そとうば)の詩の一節です。
真面目とは真実の姿を意味します。
蘇東坡は、柳が新緑の枝を垂らし、花が紅に咲き誇る春の景色を前に「柳は緑であり、花は紅であり、これが本来のありのままの姿である」と深く感動しました。
柳は緑であり、花は紅であり、それが真実の姿である。
柳は紅に、花は緑になれないように、そこに優劣は存在せず、ありのままの姿が尊いと詠われました。
蘇東坡は詩人ですが、東林常総(とうりんじょうそう)のもとで修行し、悟りを得た禅の人でもありました。
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地刺し模様「柳の葉」
「柳緑花紅 真面目」の禅の言葉に出会い、深く感銘を受け、是非、禅語やしだれる柳の枝や影、流れる風の色や香り、心象風景を菱刺しで表現できればと思い、地刺し模様「柳の葉」を10種類の刺繍糸で刺し連ねました。
使用糸は、COSMO236、COSMO234、COSMO232、COSMO682、COSMO323、COSMO683、COSMO684、OLYMPUS212、COSMO2012、COSMO676です。
裏面です。
表面とはまた異なる雰囲気の模様が表現されます。
裏面に表現される模様の美しさが菱刺しの味わいのひとつと感じます。
あるがままあるように
若苗色、裏葉柳、柳葉色、緑青色、夏虫色など
一本の柳の木から、種々の緑の色彩を感じます。
お空は淡く霞み
葉を滑る雨粒は空気を含んだように
灰みを帯びて感じられました。
しだれる枝は流るる風にたおやかに靡いて
ゆく風は思い出もつれて
様々な時の色が蘇り、音や香りまで色付いてゆくようでした。
まるで千羽鶴のようね
母が言の葉を呟きました。
本当ですね
柳の姿は鶴が繋がり想いを紡ぐ姿にも見えました。
人は思い描く力を持ち
一人では生きてはゆけませんので
それだけ、過去やあの頃に想見した未来と現在であったり、何かと比較しないままに生きることは難しいことであるのかもしれません。
それでも自然はいつでもあるがままに流れてゆきますね。
人もあるがままをあるがままに、それぞれがその人だけの色を抱いて
尊び合い、いつでも真実、本質をみつめて生きてゆけたらとても素敵なことですよね。
自然の中に作品を並べて
そそぐ雨に、かすめる風の香りの中に、透明でどこか果実のような初夏の粒を感じる春から夏へとうつろう季節。
初夏の風流るる透明な季節の展示会へ出展することとなり、額装していただいたものです。
額に入れていただきますと、また違った雰囲気を帯び、そのご丁寧なお仕事に深く感動いたしました。
作品三点を並べたものです。
クレマチスや薔薇の蕾もぽつりぽつりとほころび始める頃。
多彩な植物に包まれながらの撮影は、季節の色彩や香りが身と心にしみ込るひと時でした。
おもい
この年の春はとても流れの早い春であったように思います。
不安、喜び、寂しさ、様々な想いを抱いた春でした。
これまでにあまり出会ったことのない寂しさの形にも出会った春であったように思います。
このような色の世界もあるのだなと、まだまだ知らない人生の奥深さを感じた季節でした。
作品と向き合うことは自身と向き合うことでもあるように感じます。
それ故でしょうか、作品が出来上がってゆく愉しさや、想いを巡らせる喜びだけではなく、悲しみや切なさ、迷いなど陰の想いも生まれてはひたひたと心を濡らします。
零れ落ちても、なかなか流れてはくれない想いもございますよね。
季節の流れひとつをとりましても、蕾ほころび、緑深まる喜びと共に、あらがいようのない流れゆく時の寂しさも心に芽吹きますね。
作品と向き合い、季節の流れを想い感じながら、そのように生まれくる心の多彩な色模様があってこそ「作品」「想い」なのかなと改めて感じた季節でした。
それぞれ、陽も陰も抱かれた、想いを込めた作品となったように感じます。
お付き合いくださいましてありがとうございます。
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